試験慣れしていない無名校出身者や現代文を捨ててしまう理系の生徒では
問題文に書かれている内容が納得できないためにまともに答えられないというケースが見られます。
現代文をはじめとする読解問題は筆者がどういっているのかの理解を問うのであって
受験生個人が納得できるかのごとき意見や感想を求めているわけではありません。
しかし、筆者の主張が奇抜だったり時代遅れだったりすると
つい自分の意見を答案にしてしまうような受験生が大勢いるのです。
もちろんそんな答案では得点になりません。
大学での学問において非常識な主張や時代遅れな考え方を理解するのはとても重要です。
最新の研究結果がそれまでの常識を覆すのは分野を問わずよくあることですし、
昔の新聞記事や論文といった文献を分析して視点を確立することも共通した手段です。
それらをろくに理解もせずに「納得できない」と否定しては学問になりません。
東大が奇抜な主張の文章を好んで出したり、京大が伝統的なテーマの文章を出したりするのは
学問の世界に適応する能力を測ろうとしているのだといえるでしょう。
意見や感想を持つのは結構ですが、内容の理解が伴っていなければ学問の世界では通用しないのです。
もっとも、大学の外に目を向けるとどうでしょうか。
正確な理解というのは必ずしも重要でないような世界がたくさんあるように思います。
その最たるものが一部野党の政治家や一部のマスコミでしょう。
筆者の主張を無視して自分が納得できるかにばかりこだわるというのは
人の話を聞かずに自分の意見ばかり言うのと同じ現象なので
有名校の国語の先生が言うように「国語ができないのは頭が悪いのではなく性格が悪いからだ」
と思いますが、現代社会で生きるためには性格が悪い方がいいのかもしれませんね。