天流仁志の受験情報ブログ

東大法学部(政治コース)卒、受験戦略研究の専門家です。ノウハウの大部分は「学習の作法」を始めとする著書で公開しており、本ブログは今のところその補完的な位置づけとなります。趣味の選挙の話もたまに書きます。

当研究所の目指すもの

このところ「研究所」というが一体何を研究しているのか、という疑問を聞くようになりました。
当研究所で研究しているのはいかに学習生産性を向上させるか、ということです。
ありていに言えば「いかに少ない学習時間で成績を上げるか」。
学習生産性が高くなれば、学力を維持したまま趣味、部活などほかの活動に時間をかけることができるようになります。
もちろん、浮いた時間をさらに学習についやして学力を大きく向上させることができます。
その時間をどう使うべきかということに関して個人的に思うところはありますが、それはまた別の機会に書きます。

この業界では
「学力さえ上がるなら、時間がいくらかかってもいい」(から時間をかけるべきだ)
とか
「たとえ学力が上がらなくともその努力自体が尊い」(から時間をかけるべきだ)
などという主張がよくなされますが、私はこれらに与しません。
こうした方針の教育が生み出すのは、努力をムダだと思い込んでしまった無気力な人間であることが多いからです。
たとえうまくいったとしても、目的意識の乏しい奴隷のような労働者ではないでしょうか?
結果のでない努力なんてしないほうがマシだ、結果を求めない努力なんかするな、とまでは言いませんが
無気力者や奴隷にならないために必要なのは健全なバランス感覚であり、その養成には高い学習生産性が非常に有効だと考えます。これに違和感や拒否感を感じる人は内田樹下流志向」(講談社文庫)あたりを読んでみるといいでしょう。

もう一つ、当研究所の立場として明確にしておきたいのは学習技術の研究に終わりはないという考え方。
つまり社会情勢が変化し、それに応じて入試問題が変化していく以上、「学習技術」も常に変わっていくべきだということです。
実際に、例えば英語ではかつて基本とされていたことが応用と呼ばれるようになり、応用とされていたことが基本と呼ばれています。
また、複数の予備校や出版社による競争が続く限り、教材の進歩も終わる事はないでしょう。
さらにいえば、効率の良い学習法というのも学習者の学力や性格によって大きく変わります。
したがって普遍的な「究極の勉強法」だとか「勉強法のバイブル」というものは存在し得ないのです。
勉強法は完成された、参考書は出尽くしたなどという主張を時折見かけるのですが、
それはあくまでそう主張する本人の、ある特定の時期の、特定の試験に対する勉強法や参考書でしかありません。
我々は試験や成績といった概念が存在する限りは学習法を研究し、教材を開発し続けます。